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明治3年は13ヶ月あった

今のカレンダーはグレゴリオ暦という欧米の暦法で作られており、日本でこれが採用されたのは明治6年からでした。つまり明治5年以前は、今のようなカレンダーではなかったということになります。

代わりに何が使われていたかというと、中国の暦法をベースとした、独自の暦法が使われていました。これが一般に旧暦と呼ばれるものです。

旧暦によれば、明治3年は実は13ヶ月あったのです。なんでこんなことになるのでしょう。そのからくりについて説明していきます。

暦法について

昔の日本では、暦法が新しいものに徐々に改良されていき、都度切り替わっていました。一般に旧暦とは、グレゴリオ暦になる以前、最後に使われた天保暦を指します*1。細かい違いを除けば、天保暦以外の他の暦法も基本は同じであり、太陰太陽暦という分類の暦法になっています。

暦法はふつう、太陰暦太陰太陽暦太陽暦の3つに分類されます。まずはこれらについて触れていきます。

太陰暦

大昔のことを考えてみてください。空を見ると、月と太陽が出たり沈んだりしています。さて観察しやすいのはどちらかというと、太陽は眩しすぎて、細かいところまではよくわからないですよね。分かりやすいのは、どうも月の形が日ごとに徐々に変化しているということでしょう。そこで、月の形を基本として暦を作ることが考えられます。

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上図は左から右へ時間が流れているイメージです。月の形は新月→満月→新月→満月→……と一定のスピードで変化しています。

月がまったく見えない状態(=新月)を初めとして、次に新月になる日までの期間を一つの単位としてしまえば、暦のできあがりです。満月より新月の方が形が明確で基準にしやすいですからね。この単位を1ヶ月と呼ぶことにします。これなら、日付の設定ができますね。何月何日に集合ーーとか言えば、月の形で日にちが判断できますから、正しく集合することができます。また、新月間の日数は約29.53日なので、1ヶ月の日数は29日か30日ということになります。

このように、月を基準にした暦法のことを太陰暦といいます。今でも太陰暦を使っているところがあるそうですが、広くは廃れています。これだけでは暦法として極めて不便な問題があるのです。

Wikipediaから)

太陽は1年を通して、地表に出ている時間(=昼間の長さ)が変化します。夏は長く、冬は短い、だから夏は暑くて冬は寒いわけです。この角度が最も高くなるのが夏至、低くなるのが冬至、中間になるのが春分or秋分です。

太陰暦では太陽の動きを無視するので、例えば1年を12ヶ月で区切ったとすると、同じ1月でも太陽の位置が全然違う(=季節が違う)ということになってしまうのです。太陽と月はそれぞれ独立で動いていますから、しょうがないのです。

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上が今年、下が来年の、太陽と月の動きを並べたものです。12ヶ月周期で1年にすると、このように太陽の動きと約10日ずれてしまいます。このずれが蓄積されていくと、17年後には季節が逆転し、7月が冬になってしまいます。これを解消しようと考えて作られたのが、太陰太陽暦です。

太陰太陽暦

太陰暦は月の動きしか見ていないので、季節が暦に反映されていませんでした。そこで、太陽の動きを見て季節のずれを修正することが考えられました。

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たとえば上図のように、月の動きベースで暦を作っていて、太陽の動きとだんだんずれてきてしまったとします。5月にあった夏至*2が6月になってしまったのです。

そこで、1ヶ月分ずれたのだから、もう1回同じ月を繰り返してみるのです。これを閏月といいます。

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その年は5月をもう1回取り入れて、1年を13ヶ月にしてしまうのです。5月の閏月だから、閏5月といいます。これなら、夏至の位置が以前の5月とこの年の閏5月で、だいたい同じになりますよね。

このように、基本は太陰暦なんだけれども、太陽の動きもちゃんと見て修正しますよ、という暦法のことを太陰太陽暦といいます。太陰太陽暦における閏年とは、このように閏月が挿入された13ヶ月ある年のことをいいます。

1年が13ヶ月もあるなんて、今ではなかなか考えられない暦ですが、日本では実はずいぶん長い間使われていた暦法なのです。最後の旧暦である天保暦も、この太陰太陽暦を採用したものです。

太陽暦

研究が進むと、太陽の角度(太陽視黄経)を使えば1年を単位とすることができ、もう月見なくていいんじゃね、となっていきます。月の動きを暦の基準にしていたのは、もともと目で見て分かりやすいからぐらいの理由でしたよね。

そこで現在は、太陽だけを基準にして、月の動きを無視した暦法が使われています。これが太陽暦です。

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1月1日の太陽の角度を決めておき、夏至冬至と進んで同じ角度に戻ってくるまでの期間を1年とし、これを適当に12等分したものを1月、2月、…、12月とするのです。これなら1年間は必ず12ヶ月になりますから、閏月の挿入は不要となります。もう月の動きは見ないので、月によって月の形はバラバラですし、もはや1月、2月、などの「月」という言葉には何の意味もありません*3

ただ、地球の公転周期は365.2422日なので、1年を365日と決めてしまうとだんだんずれてしまいますから、時々閏年を設けて、閏年で2月29日を追加することで調整しています。

なんで1月1日がこの角度のときなのか、なんで閏年には2月29日を追加するのか、などというのは、どれも歴史的な理由であって、太陽や月の動きの動きとしては特に意味はありません。

現在は太陽暦の中でもグレゴリオ暦という暦が使われています。他にもユリウス暦が有名ですが、閏年の挿入の仕方が違うのですね。グレゴリオ暦は、4年に一度は閏年、ただし100年に一度は平年とし、でも400年に一度はやっぱり閏年にする、というちょっと難しい閏年の挿入の仕方をします*4。でもこれのおかげでずれの修正がうまくできていて、大変精度の高い暦になっています。

なぜ明治3年は13ヶ月あるのか

日本は古くから、太陰太陽暦を採用していました。そして、太陰太陽暦では太陽とのずれを修正するため、閏月を挿入し、1年を13ヶ月とすることがありました。これが太陰太陽暦における閏年です。

日本が現在のグレゴリオ暦を採用したのは、明治6年1月1日からです*5。ということは、明治5年以前は旧暦である天保暦が使われていたということであり、天保暦太陰太陽暦ですので、閏月が挿入される可能性があります。明治3年は明治で唯一閏月が挿入された年でしたから、明治3年は13ヶ月あったというわけです。

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閏10月を挿入することで、太陽とのずれを調整していました。現代から考えると不思議ですね。当時の方は閏月をどう過ごされていたんでしょう。

*1:天保暦は実際は29年間しか使われていないのです。もはや旧暦と呼ばれている期間の方が圧倒的に長いですね。

*2:旧暦では5月が夏至でした。ここでは旧暦に合わせるためにこう書いてます。

*3:太陰太陽暦では何月1日は絶対新月でしたし、15日頃は絶対満月でしたから、十五夜は満月などと言えていたのです。今はバラバラなので、当然、1日が満月になる日もあります。

*4:例えば1900年や2100年は閏年ではなく平年なのです。このときだけ4年に一度が閏年のルールが破られます。

*5:明治5年は12月2日に終わり、その翌日から突然、新年あけましておめでとうでした。これも歴史的な理由です。