実無限と可能無限 ~ 0.999…=1なのか?
数学の謎では名高い上の式ですが、本当にそうなんだろうかって、みんなよく思ってることでしょう。
いや、表記が違うのにおかしいだろ、と言われてしかるべきに思います。
そこで、よくある証明に以下のようなものがあります:
の両辺にを掛けて、
なんだか騙されたような気になって仕方がないですね。他にも例えば、差を使った証明として、
である。細かく見て行けばなのだろうが、「」には無限のが並んでおり、末端のは永遠に表れない。よって、である。
従って、 より、
これも怪しいですね。実際その通りなのですけれど、いつかは末端のが現れるような気もしないでもありません。
極限を使ったもうちょっと厳密な証明がこちらです:
ここで、とおく。
これは、極限を使うと次のように表記できる:
… ①
等比数列の和の公式から、
ここで、
… ②
なので、が成り立つ。よって、
怪しいと思われる箇所は①と②だけだと思います。他は特に怪しい箇所はなさそうですね。
極限を習っていれば、①も②も当たり前の等式ですけれど、むしろそれらがあるから、になると言えるわけですよね。
本当にそうなんでしょうか?
そもそも極限ってなんだ?
極限は案外誤解されやすい役物です。例えば、
ですけれど、なんで「」って言いきれるんだ?って考えたことないですか。
が無限に大きくなったところで、はって徐々に小さくなる一方で、完全にになるわけがないじゃないか、と思われるでしょう。ごもっともです。ただ、
「だから実は、が正しいんだ!」
なんていうのは間違いです……確かにはにはならないから、いつまで経っても「に限りなく近い何か」なのですけれど、記号が言っているのは、そうじゃないのです。
「 について、を限りなく大きくしていったら()何に近づくかな?」
というのを記号で表したのがなのです。
近づいて何になったか、ではなくて、「何に近づくか」です。それなら胸を張って「に近づく!」と言えますよね。
だから、と、堂々と書けるわけです。これが記号の本質というか、定義なんですよ。無限に近づいていく先の値、ここでいうのことを、極限値といいます。
実無限と可能無限
そうすると、さっき怪しいと言っていた次の二式も見方が変わると思います:
… ①
… ②
少なくとも記号を持ち出した時点で、②が正しいのは言うまでもないでしょう。
本当にはになれるのか?ではなくて、に近づくだけです。②は正しい式なのです。
そうすると、そもそもここで記号なんかを使っていいのか?ということで①が怪しいと思えて来ませんか。
実際その通りなのです。①は怪しい操作です。
①の左辺にある「」は無限に続くものであり、それ自体が何かの値を表すのだ!という強い主張が右辺の記号を導入させているのです。
だって、無限に続く足し算が計算しきれるわけないじゃないですか。
でも仮にその足し算が完了できると仮定するなら、その値はやはり極限値でしょう。だから記号を使って置き換えられたのです。
この考え方を「実無限」といいます。実際に無限の操作は可能であり、その結果の値を表すことができる、実際にあるんだよ、という考え方です。
現代の数学は、この実無限の考え方が便利だから、それを使っているというだけのことなのです。ここにの違和感があるのでしょう。
もう一つの考え方である「可能無限」では①のような変形はできません。可能無限とは、無限に操作することは可能だよ、だけど何かの値になるわけではないよ、という考え方です。
も、に近づくように無限にを継ぎだしていくことはできるけど、別にが無限個並んでいるわけじゃないんだよ、という捉え方です。そっちの方が違和感がない気もしますね。
だから可能無限の立場では、その人の裁量での値は変わります。
かもしれないし、かもしれません。
ただ一つ言えることは、確実ににはなれないので、である、ということです。
可能無限の考え方はシンプルで自然なのですけど、やはり値が決まらないなんていうのは不便じゃないですか。そういった意味でも、現代数学では実無限の考え方を中心としており、その考え方をするから、も言えるんだよ、ということになります。
まとめ
実無限
「無限の操作が可能で、その値を表すことができる。になる!」
可能無限
「無限に操作は可能だけど、何か一定の値になるわけではない。です」
ということです。多くの違和感はおそらく、可能無限の立場から来ているのではないでしょうか。